戦争や天災などで深い心の傷を負った子供たちに見られる症状に、繰り返し行為というものがある。
思い出したくもないはずの悲惨な体験を絵に描いたり、ごっごをしてその悪夢を再現したりするのだ。
いのちの感作法というか、幾度もアウトプットするたびにカタルシスが生じるのか、そんな壮絶な再体験を繰り返して、人は少しずつ心の軌道修正をしてゆく。
この物語の主人公の一人・結城はまさにつぶやく。
「お前には解らないだろうな。喉がカラカラに渇くんだ」
彼は経験というものに呪われし吸血鬼と化した。復讐という名を借りたそれはもう‘ごっこ’ではすまない。もはや刺激的ですらない再体験は、後遺症の発作を止める対処薬にすらならなくなった。
残された命と虚無の中で、彼の手段は目的と化す。
予告を見た感触としては、玉木宏扮する結城(陰)と、山田孝之扮する賀来(陽)の二つの座標軸が象徴的に描かれるのかと思っていた。そういった対比が大好物な私は密かに期待していたのだが、残念ながらそういう構成ではない。
全体的に、‘美しい悪(モンスター)’である結城を描くことに忙しく、引きずられがちな賀来神父が陽を発揮する場面は少ない。個人的には、陽をしっかり描いてこそ陰が翳を増すと思うのだが、それでも、山田孝之の賀来が結城に‘説教’を訴えようとするさまは常に秀逸だ。
‘復讐の手段’の描写に重きが置かれ、‘MW’というものの存在・それをひた隠す社会悪への意義を問うシーンが少なかったことが非常に残念だ。ベテラン刑事沢木をして、‘モンスター’と言わしむる結城の底知れない恐ろしさもいまいちよく解らない。そして、気性と症状ゆえ陰が陰で居らざるを得ない、それを理解するがゆえ止められないという主人公二人の関係性が、もう少し細かく描写されていれば嬉しかった。
しかし、冒頭の岡崎事件のシーンは、切迫した関係者たちと裏腹、極彩色のバンコクが象徴的に撮られていて、なかなかいい。石橋凌のキャラクターにぴったりな刑事・沢木の追跡シーンは見せ場のひとつだろう。(シャツが青いのも画像的にいい感じである)
ラスト、子供たちに白い風船を持たせるのは、いかにも手塚作品という感じがして好きだが、時間の関係か予算の関係か、見せ場の筈がずいぶんと端折られてしまったような気がした。社会悪の象徴である望月(品川徹)が、沢木と賀来を利用するという所ももう少し見たい。
そんな中で、やはりどうしても印象に残るのは、語り手=沢木刑事である石橋凌さんの存在である。陰と陽の対比バランスが欠けている一因は、その存在感にもあるだろう。要は構成的に活躍しすぎなのだが、仕上がりが個人的に好きな感じであるがため、ちょっとしたジレンマだ。
あと、石田ゆり子さんの存在感およびイメージを、ああいった結末を想定してキャスティングするのはなかなか好きだ。『感染列島』の佐藤浩市さん同様の効果で、結城の無慈悲がより印象深く描写されたと思う。
とにもかくにも、玉木さんファンの方は黄色い声の連続で、声が枯れてしまうやも知れないくらいのファンサービスである。『真夏のオリオン』にも書いたが、私も玉木さんは嫌いではない。ただ、演技的には一辺倒になってしまいがちな脚本だったので、真価が判断できず非常に残念である。むしろ私は玉木さんに賀来神父をやってもらってもいいんじゃないかという思いもあるくらいだ。
無論山田さんは、信頼して何でも任せられる役者さんであるから、前述のとおりまったく異論はない。短い台詞だけで、苦悩を観客の心に焼きつけるワークは、本当に彼ならではの迫力がある。惜しむらくは、賀来神父としてのビジュアルがやや汚すぎる(スイマセン!でも陽だし・・・)ことか。言及すると、玉木さんとは全く別の切り口で、彼の陰演技もかなり見てみたかった次第である。
個人的に、半海一晃さん(老けたなぁ・・・)の上司がとても良かった。 『ジェネラル・ルージュ』でモンスター的名演を見せてくれた林泰文さんも、しっかりと脇を固めてくれていて強力な安心感がある。
あと、見た目が好み(笑)の風間トオルさんがチョイ出していて嬉しい。主役二人が若手なだけに、品川徹さんの望月大臣、鶴見辰吾さんの政治家秘書という存在も、キャラクターに重厚感があってとても素晴らしかった。